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魔法使いの屋台

「オレさー、呉でイタリアンの屋台出そうと思うんだけど。」
「えっ、美容院どーするの?!
元々料理が得意だった彼(妻木英二)との7年前の会話である。

静岡県で生まれ育ち、高校卒業後に東京で8年間今で言うカリスマ美容師の元で修業を積み、見知らぬ広島という街で待望の美容院「魔法使いの弟子」をオープンさせたのは1981年。英二26歳。
この頃、私は駆け出しのグラフィックデザイナーで、店のTシャツデザインを請け負ったのがきっかけで彼と知り合った。当時店を構えた広島市の並木通りは、ファッションストリート。
東京からの新鋭美容師とお洒落な店内に、和気あいあいのスタッフ達。流行らない訳がない。
朝礼に始まり反省会そして勉強会の毎日、技術と接客についての指導は特に厳しかった。
趣味も多彩で休日には日本海で波乗り、冬にはスノーボード、恒例の海外旅行。
今でも鮮明に覚えているが豪華客船を貸し切ってのクルーズパーティ。300名ものお客さんを招待しサービスの限りを尽くし大盛況だった記憶がある。

そんなバブルが過ぎ去り美容業界にも陰りが見え始めたのは開業から20年後、2002年の事である。このまま美容業界にしがみつくか、違う道を探すか。長い時間悩み続けた。
そこに街並みの活性化で自治体公認の屋台を出店するチャンスが目の前に現れた。
彼は決心した。
「これしか無い、絶対にやる。本当にやりたかった事を始める」

僅か8軒の募集で47を越える応募、懸命に呉市に提出する為の十数枚に及ぶ慣れない企画書を書いた。そして彼の構想は認められた。出店できる。これからの道に光が射した。
金は無い・・・ 屋台は自分の手で作った。親友のイタリアンシェフも手伝ってくれた。
出会った人を大切にしてきた彼に天使が微笑んでくれた瞬間である。彼の本当の人生が始まった。
今考えると、私は三ツ星屋台を創る為に30年間美容師という長い道のりを歩いて来たのではないかと。実は本当の修業はこれからだったのである。

朝8時起床、食材の仕入れ、仕込み中も携帯には予約の電話が絶えない。15時自宅がある広島から呉へ。2時間かけて屋台の組み立てと開店準備。24時の閉店後、帰宅は午前3時。忙しかった日は自宅に帰ると直ぐに翌日の為の仕込みにかからなければ営業ができない。僅か3ヶ月で10kg体重が減った。イタリアン屋台という珍しさもあって人気は上々で予約しないと入れない状態が続いた。
「美味しい、また来るね」お客さんのその一言で自分の体が6年間も動いてくれた。しかしお客が増えるにつれ、近隣の屋台オーナーからの苦言も多くなり体力的にも精神的にも限界に。

「ちゃんと屋根のある店舗でやりたい」

そして念願叶い2008年10月オープンしたのがこの広島市本川町、三ツ星屋台。
35年間もの歳月をかけて創作された、彼の「志の集大成」だ。

文/映像作家 岡平寿生

 
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